最近、心の状態があまり良くなくて、今年7月に亡くなった三浦春馬さんへに思いを馳せることが多くなりました。思いを馳せる、というよりも、心が乱されている、に近いかもしれません。
個人的な理由から、今年の4月からあまりテレビを見られていなくて、もともと疎かった芸能界の情報や流行に更に疎くなりました。だから当時三浦さんの訃報が速報テロップで表示された時、理解するのに若干の時間が必要で。
「いやまさかね…。」と自分自身を疑いながら、名前から連想される音に記憶をたぐり寄せました。点が繋がるまでに秒と掛からなかったと思うのだけれど、じわじわと姿が鮮明になっていく様子はあまり気分の良いものではありませんでした。
繋がった瞬間は思わず息を飲んだ。本当にとてもびっくりした。
その日は雨が降っていたのをよく覚えています。というのも、カフェに傘を忘れたから。それだけでなく、携帯を落としたし、道にも迷いました。
三浦さんの訃報を翌日振り返って、「命を断つことなんてないのに」「何度だって人生やり直せるのに」と、至極残念な気持ちになりながら、一方でふと、「やもすると虫の居所が悪かったのかもしれない」と思いました。
演者という、感情を振り切らせる仕事に多忙を極めれば、心の負担は相当なものになると思います。それが彼の生活に変に絡んで、彼は消えてしまったのだと思う。
もちろんこれは私の想像だし、繰り返すけれど私は芸能情報に疎くて、三浦さんの芸能活動をあまりよく知らないでいました。彼の演技をちゃんと見たのは、10年以上前に見た、『14歳の母』が最後と言えば、伝わるでしょうか。
それで最近、自分の心のこともあって、彼がどういう人だったのかが気になるようになりました。バラエティや番宣など、三浦春馬さんが喋っている動画をYoutubeで探しては、目を凝らすように見て、彼の片鱗を掴もうとしました。
あるブログで、彼を掴みどころのない人と表現されている方が居たのですが、私もそう思います。
カメラを越え画面を越え、動画を通して私が感じたものは、若干の冷たさや、人を寄せさせない怖さみたいなものでした。うまく表現ができないのだけれど、三浦さんの瞳が、目が、そう私に感じさせていて。
失礼に感じたら本当にごめんなさい。
それでそのあと、ASLの病に侵された人物を映画化した作品の番宣動画を見たのですが、それが見ていて本当につらかった。
溢れ出る思いに乱されぬよう、自分を落ち着かせながら紹介コメントを伝えていて、なんというか、もう私の心はかなりえぐられました。
彼が人物を通して感じたもの、そしてそれを伝えたいという気持ちが溢れ出ていて、乱れる感情を一生懸命抑えようとしている感じ。
いかんせん自分の表現力がとても低くて、多分もっと良い言い方があると思うのですが、それでもあえて伝えるなら、
私はそこから、良くも悪くも人物に憑依しすぎる演者の、”真面目さ”や"優しさ"みたいなものを感じ取りました。
竹内結子さんの一件に関して石黒賢さんが、
誤解を恐れず申し上げると、なかなか我々みたいな仕事をしている人は病院に行きづらい、行きにくいという面もあって、...家で少し元気がないところからいきなり表へ出ていってカメラの前で、...すごく心をよいしょって持ち上げる必要があると思うんですね。
と述べていて、やはり演じるというのは、しっかりとしたサポートをもって自分の心と向き合う必要があるのだと感じます。
これに関しては以前から少し思う部分があったのですが、
演じる上で、うまく割り切って演技をすることができればいいけれど、人物の一部が心の中に残ったままだったり、しっかりと乖離できていない場合、自分が何者か分からなくなったり、ストレスが蓄積されていったり、とにかく凄く凄く心に負担がのしかかるんだろうと思います。
それで多忙を極めれば、きっと心は壊れてしまう。多忙とは程遠い状況にある自分ですら、心が苦しくなるんですから。
三浦春馬さんには本当に戻ってきてほしくて、ありもしない”もし”の世界を想像しては苦しくなってしまう。こんなこと考えても仕方がないですし、私なんかより彼を知る人々が一番強く思っていることだというのは、想像に難くないのですが。
でも本件に関しては自分の中でどうしても妥協できない部分があって、
なぜこんなにも自分の心が乱されているのかも分からないのですが、ただ苦しくて苦しくて、感情の高ぶりと共に私も会いに行きたいと思ってしまう。
そういうこともあって、ふと日常で彼を想起させるものに出会うと、心がポキっと折れそうになります。例えばYahoo!のトップページに彼の名前が表示されていたり、映像や文字の中で彼の名前が引用されていたりするだけで、心が本当に痛い。
今日も彼の出演作品がNHKのニュースで流れていて、それまで平穏を保っていた心がぐわっと鷲掴みにされ、かき乱されて、かなり苦しくなりました。痛かった。
そこから心を平常心に戻すまでもかなりの時間が必要で。
いち視聴者の私が、芸能情報にこんなに疎くて、彼に関して発言することすら憚られそうな私が、なぜこんなにも刺激されているのか、本当に分かりません。
子供の頃の三浦春馬さんに関する記憶が私にいたずらをしているからか、私が彼と同世代だからなのか、とにかく彼と自分を重ね合わせている部分があるのかもしれません。
はたまた、脳で考えられる表現力や理解力を越えて、彼から何か通ずるものを感じ取っているのかもしれません。
それで、それが起爆装置となって、今の私の精神状態に作用しているのかもしれません。
自分も解放されたいと。彼に会いに行きたいと。